2016/12/02(金)映画「君の名は。」は凄いけど何か物足りない(感想)

もうずっと前に観たのですが、今更ながら感想を書いてみたいと思います。

「君の名は。」の凄さ

新海誠監督のデビュー作「彼女と彼女の猫」という作品を観たのが、今から10年以上昔になります。たった5分にも満たないショートフィルムですが、もう繰り返し繰り返し何度も見ました。当時、この作品を見て「新海誠は宮崎駿に代わるアニメ作家になる!」と勝手に期待していました。

この身勝手な期待は、次作の「ほしのこえ」で裏切られ、今度こそと思った「雲のむこう、約束の場所」を見て、この監督はダメだと思いました。新海監督は、脚本構成が致命的にダメなのです。他の人に脚本でも書いてもらわない限り観るだけ無駄かも知れないとすら思いました。一個人にそんなことを思われてもいい迷惑だとは思いますが当時の正直な感想です。以来、新海監督作品は気にもしなくなっていた頃、「君の名は。」が公開されました。

前置きが長くなりましたが、「君の名は。」面白かったです。何より脚本がまともだった。

今回の作品においては、脚本の「開発」を徹底的にやりました。脚本会議では、東宝の川村元気プロデューサーやスタッフに脚本を読み込んでもらい、意見を出してもらいました。毎回、初めて映画を見た人の視点で、観客の気持ちがどう流れていくかを徹底的に考え尽くす。チームで顧客の気持ちをシミュレートし続けるという作業だったと思います。

『君の名は。』大ヒットの理由を新海誠監督が自ら読み解く(下)

他にもインタビュー資料がネット上にありますが、新海監督にまともな脚本家を用意したのではなく、新海監督の脚本をまともにしたのです。その発想はなかった(苦笑)

あちこちで語られているとおり、「東日本大震災以降のこの日本で奇跡を起こしたかった」というものが体現されたアニメで、高校生の男女のすれ違い(恋心)という若者向けド直球の作品です。

アニメとしても今までとは(予算が)違ってとても良いですね。今時のデザインのキャラクターが躍動感を持って動いています。三葉は必死に走って転ぶシーンとか、あちこちで語られているとおりだと思います。

つまるところ、新海監督の持つ情景や描写の良さに、

  • まともになった脚本
  • ウケやすいお話作り(恋愛話や奇跡)
  • ちゃんとしたキャラクター芝居

の3つが加わって、これ最強じゃない? という感じで、凄いよ凄すぎるよ!というのが大半の意見なんじゃないかと思います。

でも何かが物足りない

新海監督史上「最強の映画」だと思います。でも何か物足りないんです!

「彼女と彼女の猫」という作品は、絵を動かせない、色もモノクロ、声優を雇うお金もない、キャラクターも描けない。そんな制約だらけの中で「背景描写」「画面スクロール」「リアルな効果音」「詩的なナレーション」「同じ絵の再利用」を多用して作られています。

制限は創造の母って言葉があるのですが、新海監督は実力が認められるに連れて「制限(制約)」がどんどん失われていきました。それが新海監督の作家性を低めている気がするのです。

「君の名は。」は凄い作品だと思うし、観て単純に面白かったし、色々ツッコミどころ*1はあるけども、細かいことなど気にしないで楽しめばいい、実際にそれだけ面白いっていう作品だと思います。そして監督自身が言っている通り、時代が求めていた作品でもあると思うのです。

しかし「彼女と彼女の猫」という作品に最初に出会った時の感動、この作品を見たときに将来の作品に期待したものを「君の名は。」がすべて持っているのだろうか?と考えたとき、答えはノーだと思うのです。

例えばキャラクター芝居やカット割り。普通のアニメのようなカット割りで普通に動いていて、逆に言うと新海監督っぽくない。例えば風景描写。さすが新海監督なんだけども、ほしのこえの頃とどこが違うだろうかと思うのと大して変わらない。それどころか退化しているかも知れない。例えば、作品ムード。作品全体から漂う詩的なムードがほとんど無くなっている。

一部の新海監督ファンが、「君の名は。」は新海監督っぽくないと主張しているようですが、分かるような気がするのです。普通のアニメっぽくなってしまったことによって。


最初に引用したように、脚本修正作業において川村プロデューサーは、新海監督っぽさを残しつつ脚本の気持ち悪い部分を削ったことが伺えます。そしてアニメ作りにおいては制約を失った監督自身の手により、新海監督の良さまでスポイルされている部分があります。

この映画はある意味で、新海監督作品のひとつの完成形で、面白い娯楽作品だと思うのです。だけど、昔からのファンが観たかったのはそれじゃないんだよ!と言いたい。

濃厚で濃密で画面いっぱいから詩的なムードが漂いながらキャラクターが動いて、それでいて物語が面白い。そんな作品が観たかったんだよ!

画面の隅々まで、新海監督によってコントロールされて、キャラクター芝居ができるからって普通のカット割で普通の芝居をされることもない、ウケが良さそうだから、求められてるからって理由で奇跡を起こさない*2、そんな作品が観たかったんです。

これって、無茶な要求なんでしょうか(苦笑)

*1 : 絵的な面、演出面、ストーリー面

*2 : 監督が監督自身の判断でハッピーエンドが必要だと考えて作ったのなら問題ないのですが、今作の場合は媚びただけに見えました。ハッピーエンドだからダメなのではなくて、物語全体としてその部分に情熱がちっとも感じられない(やる気がない)ように映るのです。

2016/12/01(木)映画「この世界の片隅に」はドキュメンタリーかも知れない(感想)

(途中までネタバレなし)

評判が異様に高かったので観てきました。観終えて真っ先に思ったのは「えっ、どこが面白いの?」というたくさんの疑問でした(苦笑)

このお話は、戦前そして戦中に生きた「すず」という少女の物語です。すずはちょっとぼーっとしていますが、いつも笑顔を絶やしません。そんなすずは昭和19年に見初められた見知らぬ男の人のとこへ嫁いでいきます。そして、どこで会ったかも覚えていない男の人の一家と暮らすことになりました。

こう書くと戦中の暗いお話で、昔の風習に流され嫁いでいった不幸なお話のようにも思えますが、ぜんぜんそんなことはありません。むしろ、戦中を必死に生きる人たちの中で、おとぼけすずの楽しい日常が描かれていきます。この作品はコメディでもあるんですよ。なにせ自分が嫁いできた家の名字も知らなければ住所も分からないのです。途中何度も笑いそうになりました。*1

しかし、コメディだからといってもクスってなる程度でそこまで強烈なものでもありません。基本はのんびりした主人公すずの、のんびりとした日常描写です。日常系アニメとか間延びし過ぎて苦手だし、大して笑えないコメディなんて観たくもないです。のんびり主人公の日常なんて、そんなの映画にされたら堪らないよ! と思う暇もなく、気づいたらあっという間に120分が終わっていました。

……あれ? 何が起きてるの?

映画館から出で最初に思った「どこが面白いの?」という感覚。にも関わらず、120分間片時も画面から目を離すこともなく、一瞬も他のことを考えもせず、映画に釘付けになった事実。

これはなんだ? なんなんだ? そうだドキュメンタリーだ!

この作品に分かりやすい物語性を期待すると「あれ、どこが面白いの?」という感想になってしまいますが、これをドキュメンタリーの視点から眺めるとガラりと評価が変わります。

緻密なまでに調べ上げられた背景や情景。人物や生活描写。昔のことの知識がないのに、自然と伝わってきます。きっと当時の人達は本当にこうやって暮らしてたんだと。そして何より、生き生きとそこに存在するすずを初めとする登場人物たち。これは声優の演技でもあり、アニメとしての芝居の持つパワーでもあります。

アニメ映画である限りすべては嘘であり、物語以前に、山も空も町並みも人物も戦闘機もすべてが嘘なのです。そう全部嘘なのです。嘘なのに画面の隅々まで嘘が全くないのです。映画館の座席に座り、上映が始まり終わるまでの120分。すずは本当に目の前に生きていたし、本当に瀬戸内の風景がそこに映し出されていましたし、その間に戦争が始まり戦争が終わります。

この圧倒的なまでのリアリティに支えられ、すずはその場に存在しているのです。

*1 : 劇場内で他に笑っている人が居なかったので笑えなかったのですが。

以下ネタバレ含む

昭和19年にすずが嫁いでから、お話が進むにつれ戦況は厳しくなり、配給は少なくなり、食事は貧しくなり、そして空襲もやってきます。

それでもすずたちは毎日毎日を生きていきます。悲しい出来事も起こります。身近な人も亡くなります。それでも明日はやってきますし、食事も作らねばなりません。生きていかねばなりません。

でもこの映画は何も語りません。物語性が排されています。物語の起伏も作られていません。だから戦争について何の意見も述べていないのです。戦争という大きなうねりの中で生きる人を、ただただ淡々と描いているのです。そのことが逆に、戦争というものを肌で感じさせます。

ここがこの映画の実に優れているところなのです。

よくある物語を構成法では「テーマ(主張)を決めて、テーマをいかに伝えるか」と工夫してお話を考えます。ラストシーンに絡めてテーマを作り込み、カタルシスも得られるようしつつ何かを訴えかけようとします。しかし、そうすればするほど、物語は物語であって、今この現実ではない架空の世界のお話であって、私たちの日常とは遠い世界のお話になってしまいます。

それに対してこの作品は物語性を敢えて排除することで、日常の延長として受け取れる世界を提示しています。そのような演出をここまで見事に成功させた作品は初めて観ました*2。これは本当に驚くべきことです。

しかも私たちは普段、戦争と聞くと暗く悲しいイメージを持ちがちです。戦中映画にある暗く悲しいシーンはそれだけで物語や主張を持ってしまいます。でも作者はそのことをちゃんと分かっています。だから、この映画はドキュメンタリーでありコメディなのです。コメディを差し引いても、すずたちは必死に楽しく生きようとしていたし、実際に楽しそうです。その上、不幸があっても分かりやすい不幸として描いていない*3のです。

本当は実家の広島に帰るはずだったその日、運命のいたずらが起こったその日。その日の描写ですら、そこに描かれてるのは「呉に残ると決心した」「居場所を見つけた」すずの姿であって、広島で起きていることは、その状況を演出する駒として使われているのです。

今までこんな映画(演出)があったでしょうか。

*2 : そもそもそういうアプローチで作られた作品を私は知りませんが、存在はしそうです。

*3 : もちろん画面の描写をきちんと見ていれば不幸は理解できます。

それでも敢えて解釈してみる

私たちはこの世界に生きながら、世界の大きな流れやうねり、自然災害などに晒されています。生きる時代は違えど、すずと同じ仲間です。すずと同じように自分の居場所を求め、そこに安住し、毎日を暮らしています。

どんなに大変でもそれでも生きていくすずは、私たちになにを伝えてくれるのか?

「お前だけは普通で居て欲しい」と願われたすずは、ちゃんと普通で居られたのか?

この映画は何も語ってはくれません。だから受け取り方は人それぞれです。

私はすずはみんなに勇気をくれたんじゃないかと思うのです。

「大丈夫生きていけるよ」

って。


何も語ってくれない映画です。きっと何度も見れば見るたびに違う感想を持つかもしれません。

でも一つだけ確かなことがあります。

すずは、この世界の片隅に生きています。

2016/10/05(水)「バケモノの子」は面白いが台詞のセンスがない

サマーウォーズ」を見てから細田守作品のファンで、前作「おおかみこどもの雨と雪」は劇場で見ているものの、「バケモノの子」は劇場では見ていなかったのですが、今更ながら見てみてました

正直なところ期待してなかったのですが、思ったよりぜんぜん良かった。面白かった。

主人公九太(蓮)は、バケモノの世界に迷い込み、そこでバケモノ熊徹の弟子となります。熊徹は弟子もいないような半端者で、九太も親を失い途方に暮れながらその現実から逃げているだけの子供です。その二人がひょんなことから師弟となって一緒に過ごします。

舞台設定をバケモノの世界にして、成長の目標を分かりやすく「強くなること」に絞ってはいますが、このお話は「子供である九太とその親(代わり)となった熊徹」、つまり互いに未熟な親子が織りなす成長物語です。

細田監督はサマーウォーズでは田舎の大家族を描き、「おおかみこども」では狼の子供という状況での「子供の成長」を描いているように、一貫して『家族』を描いています。この家族と成長というテーマは決してわかりやすい(宣伝しやすい)お話ではないのですが*1、ヒット作ということに少し驚きもあります。

生卵を食べらなかったのにぶっかけご飯を食べるようになったり、熊徹に歯向かうところといい、周りの子に対してちゃんと強くなっていくところとか、細かいエピソードできちんと成長が描写されているのが見ていて気持ちいいです。

熊鉄と猪王山(いおうぜん)の格闘シーンは躍動感も素敵だし、それを立ったまま微動だにせず見つめる九太もまた格好いい。誇張したアニメならではの面白い動きのある人物と、その他大勢の観衆といったシーンはサマーウォーズからありますけど、細田作品の真骨頂でもありますね。

ただ宗師様に言われて、各地の賢者に会いに行くエピソードは要らなかった気もします。冒険活劇要素として入れてみたのかもしれませんが、何かしら成長のための具体的描写や他の冒険を用意したほうがよかった感じも。ただこのエピソードはギャグとして面白かった。


前半でバケモノの世界で二人の順調な成長を描いたあと、後半では一転して九太が現実世界に出入りするようになります。この辺、唐突でフリがないので出入りするようになった理由が分かりにくいですね。そして、ここで登場するのが楓という女子高生です。

楓は九太(蓮)を人間的な意味で(知識的な意味で)導きます。学校に行っていなかった九太に対する、教育面での親代わり学校代わり、そしてヒロインとしての存在です。やがて現実の親(父親)との再会も果たし、九太はバケモノの世界ではなく現実の世界で生きようと考え始めます。

つまるところ17歳にして「ちょっと遅めの反抗期」です。17歳になった九太は、親としての熊鉄に対する反抗心や失望*2から、九太は現実世界に出入りし、楓に惹かれ、バケモノとしてではなく人間として生きていこうと考えます。とはいえ、熊鉄にはとても恩義を感じていて、そこに迷いもありました。

細田監督は後半の物語が動く場面でも、つくづく丁寧に九太の成長と熊鉄との関係に焦点を充てて描いています。この手の物語でおざなりにされそうな、楓と九太が(主人公とヒロインだから)無条件に好き合うということもなく、お互いがお互いに惹かれる理由がそれなりに納得いく形で示されています。これも上手いところです。

そういう細かい描写を積み重ねつつ、終盤に向けて物語を盛り上げ、同時に九太と熊鉄の関係にも決着を付けて物語は終わります。本当によくできていて、良い意味で期待を裏切られました。


本作を劇場で見なかった理由、期待していなかった理由は、前作に引き続き細田守脚本だったからです。細田監督は、細かい物語を積み上げて、大きな物語を紡ぐことをあまり得意とせず、また自身の作風が「親子の絆」に焦点を当てているため「一見パッとしない物語」になやりすい性質があります。演出や描写は素敵なのですが、大きな流れのあるお話作りはあまり得意ではないようです。

その点、本作は「ちゃんと冒険活劇かつ成長物語」になっているのですが、力が入っていてちゃんと伝わる成長物語に対して、冒険活劇としては「各地の賢者に会っただけで冒険してなくない?」という印象が拭えません。宮崎駿作品を意識した冒険要素だっのかもしれませんが、同じく異世界に迷い込むという意味で「千と千尋」と比べると冒険的な盛り上がりは弱く感じてしまいました。「千と千尋」があまりによく出来ているということはありますが、異世界というワクワク感も少し弱く感じます。

脚本の難点を挙げると、終盤、一郎彦が闇落ちしてしまうのですが、「そうしなければ物語として盛り上がらない」以上の理由がどこにも見当たりません。一応説明はされているのですが、違和感までは行かないまでも納得感は薄いですし、「闇」の描写についても絵的には分かりやすいものの、お話としては「これは一体何だろう?」という疑問が残ります。

また細田守脚本の問題として、台詞のクオリティが低いことが挙げられます。

  • 「蓮(れん)。母さんが突然いなくなって寂しいかもしれんが、交通事故だから仕方がない」
  • 「幼稚園から受験して、父さんと母さんが望むような成績を死に物狂いで取って、なのに二人とも私の気持ちなんて知らない。(中略)だから今は辛くても必死に勉強して、学費免除されるぐらいの成績で大学に受かったら家を出る」

とても説明的でセンスがありません。全体的に良い台詞が少ないので、絵的に面白い画面はシーンはたくさんあるのに、際立って「印象的なシーン」、そして何より「印象的な台詞」が何も思い出せません。端的に言ってしまえば、サマーウォーズの「よろしくお願いしまーーーーーーーす」に勝るものが、何もないのです。

終盤の熊徹と宗師のシーンでも、この問題があります。

  • 「お前というやつは、迷いなど微塵もない目をしおって」

この台詞は特にひどい。変えるなら「お前というやつは……」「聞くまでもなかったようじゃな」とかでしょうが、そもそもこの台詞は要らない。台詞がない方がシーンが引き立つ。他にも「心のなかに剣があるだろう」という重要なセリフも、フリは良いのに「意味が分かりにくい」せいで印象が薄くなっています。

かと思うと、説明台詞が多いのに、熊徹が付喪神になって転生することで一郎彦に勝てる理由がさっぱり分からない。これは最終決戦という重要なシーンで、観客を置いてきぼりにしてしまう欠陥にもなっています。ちぐはぐ感がありますね。

細田監督は原作だけして、プロのシナリオライターに脚本を任せた方が個人的には好みです。それこそサマーウォーズのように。*3

台詞や脚本に粗があり面白さが半減しているのはちょっと勿体なくも感じましたが、成長や関係を丁寧に描いていて絵的な面白さもたくさんあり素直に楽しめる作品でした。次回作にも不安を抱きつつ期待してみたいです。

*1 : この作品と比べると「君の名は。」は実に宣伝しやすい作りになっています。

*2 : 親が持つ未熟なところに対する失望。誰もが通る道ですね。

*3 : クレジットに「脚本協力 奥寺佐渡子」とあるので現状でも修正されたものかもしれませんが……。

2010/03/15(月)池上永一「シャングリ・ラ」感想

アニメ「シャングリ・ラ」が面白かったので、小説を買って読んでみました。

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感想

まず文が読みづらい印象。よく言えば濃いんだけど、悪く言えばくどい。ラノベと比べてはもちろんですが、たまに読む講談社ノベルズと比べても読みにくい。でもそれはこの作者の味でもあって、森や自然に対する強い執着やこの世界観も作者独自のもの。すごく人を選ぶ作品だなあという印象です。はまれば面白いと思うでしょう。

解説でも触れられていますが、終盤「死んだはずの人間が実は生きてました」のオンパレードで、途中で呆れて、もうそういう作風なんだという感じですが、ちょっとどうよと言えばどうよですね。*1

作品としては、アニメ無限のリヴァイアスに通じるところもあって、正しいことのために犠牲が必要なことがあるという内容です。

物語の中心である巨大建造物「アトラス」は、そこに住めない人々を犠牲にし、生贄として直接的な犠牲をささげ、トリプルAである3人のためにもまた多くの人が犠牲になっています。その状況に憤慨しながらも、最終的に主人公である國子はその犠牲の上に成っている「アトラス」の主となることを選択します。もっと多くの、今現在アトラスに住んでいる人たちを救うために、アトラスの崩壊を防ぐために。

*1 : 解説の筒井康隆氏も困惑したような(あまり褒めてない)解説で、それはそれで面白い。

アニメとの比較

アニメ版は根幹は変えないものの、ずいぶんとアレンジがされていて、アニメの方がしきいが低いと思います。分かりやすいということかな。でも、アニメではうやむやにされた部分を知りたくなれば小説を読むしかないという。小説と共通の世界観と設定、人物を使って軽い感じでオリジナル展開をしたと言えそうです。エッセンスは随分と凝縮されてますけど。

どっちが好きかといわれると難しいですね。アニメの方が気軽に楽しめるしよくできてるかなあ。小説は濃厚って感じ。オリジナルのエッセンスはやっぱり小説なのでしょうか。

その他

とにかく個性的な作家だというのはよく分かります。よくも悪くも作家性が強い。もうちょっと垢抜けるとすごい作家になるんだろうなあという印象。ものすごく熱い作品なんだけど、熱すぎて行儀のよさはない(苦笑)。でもその熱さを楽しむ作家なのでしょう。

筒井康隆氏の解説によると次回作のテンペストが面白いらしい。でも高いなあ。

2009/10/12(月)アニメ「イヴの時間」1~6話感想

Gayoをたまたま覗いていたら、全話無料で公開されていたので見てみました(10月末まで)。

未来、たぶん日本。

"ロボット"が実用化されて久しく、

"人間型ロボット(アンドロイド)"が実用化されて間もない時代。

ではじめるアニメーション。絵こそ2Dで書かれていますが撮影はすべて3D上にオブジェクトを配置して行われいます。新海氏がやっている方法と言えば分かりやすいかな?(あれとは少し違うんだけども)。カメラワークが非常に面白い。

見た目は人間で会話もできるのに感情を持たない「アンドロイド」が家庭に普及し、主人の命令に従って家事などを行う。そんな世界の中での「イヴの時間」という喫茶店。この喫茶店のルールはひとつ。

人間とロボットを差別しましせん。

人間もロボットも対等に扱われるこのお店の中で、誰が人間かアンドロイドかも分からない。そんな中で織りなされるアンドロイドと人間のちょっとした触れあい。

感想(ネタバレ)

感情を持ちながらそれを表現することが禁じられているアンドロイドが、イヴの時間という特殊な空間でのみ対等に接し、雑談をすることができる。人間は外の世界で無機質なアンドロイドを道具としてみているのに、一度そこに感情があると知っただけで感情移入をしてしまいます。

しかしイヴの時間という世界の外では、アンドロイドはアンドロイド(ロボット)でなければいけない。そのロボットに感情移入をしてもそれは裏切られてしまいます。生き生きとしたアンドロイドの姿を知った状態で、外の世界で描かれる無機質なアンドロイドの姿をみたときに感じる無情な感覚。

それを青春ものとして鮮やかに描き出しているので面白いです。新海氏が徹底的に無機質に描く世界系とすれば、吉浦康裕氏の本作はウェットではないもののきちんと心理的なところを捉えつつそれでいて抑えた演出をしています。それはカメラワークにも出ていて、奇をてらわないアニメ的カメラワークに3Dならではの動きを加えているのも好感が持てます。

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