「タロウの約束」

はてブ数 2003/06/25 創作::小説
ぼくはその日、森でその子と会ったんだ
約束テーマにした作品。小学4年生の主人公タロウは、梅雨も終わろうかという時期にふとしたことから、不思議な女の子と出会います。

大人が楽しめる絵本を目指して書きました。。技術的には至らない面も多々ありますが、物語としては大変気に入っています。もし、よろしかったら読んでみてください。また、荻野さんに描いて頂いた挿絵が付いています。
本文(C)2003 nabe@abk
イラスト(C)2004 荻野幸

タロウの約束

タロウの約束 ~Angel's promise~

(1)

 教室に入るのを少しためらった。一度止まってから、なるべく静かにドアを開ける。
 でもそれは意味がなかった。
「タロウなんで昨日来なかったんだよ」
「土手に集合って言ったじゃんか」
 ケイタとトモヤは、ぼくの席で待っていた。
 二人の顔を見ないようにしてランドセルを机の横に下げ、ぼくは席に着いた。
 何を言われるか予想は付いていた。昨日の、土手で缶ケリをしようって話だ。
「おい、無視かよー」

「そうだ、なんか言えよタロウ。約束やぶり」
 教科書を出そうとランドセルに伸ばし手。その手に鈍い痛みを感じ、ドンという物音がした。
「なんだよ、痛いじゃないか」
 落ちた教科書をそのままにして、叩いた相手を下から鋭く見上げる。
「帰ったら……、家から出たくなくなったんだからいいじゃないか。それに――」
 それになんだよ、とケイタは目大きく開いて顔を近づける。だからぼくも負けないぐらいケイタの目を見て言ってやった。
「約束なんてしてない」
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 ぼくがその子と会ったのは、その日の帰り。
 放課後、校門を出て左に、家とは反対の方向に進んだ。理由はない、行きたい場所もない、たまたまそうしたい気分だっただけなんだ、とぼくは思うことにした。
 整理されてまっすぐに伸びる道と、両面に広がるこげ茶色の田んぼ。そのあちこちで田植えをしていた。麦わら帽子を被ったおじさんが機械に乗って田植えをしている。シャツとズボンと黒い長靴。同じ田んぼ隅っこでは、おばさんが腰を曲げて手で苗を植えている。
 太陽はうんと強くて、おじさんたちは首にかけた白いタオルで顔の汗を拭いていた。
 ぼくもランドセルと背中の間にびっしょりと汗をかいていたけど、拭くものがなかった。
 いつもとは違う道。ぼくの通学路も同じ田んぼ道だけど、ここは知らない世界だった。田んぼ二つぐらい前を歩く下級生。あの子たちにとっては、こっちがいつもの世界で、ぼくの通学路は違う世界に映るんだろうか。そう考えると不思議な気持ちに包まれる。そのうちに、下級生たちは道を逸れていった。
 気がついたとき、町外れの森の前にぼくは居た。どれくらい歩いたのか分からない。今日の算数の授業と同じぐらいの時間歩いたかもしれない。
 辺り一面に鳴りひびくヒグラシの合唱。虫の一生は、ぼくたちよりうんと少ないと理科の授業でやった。けど虫たちは、ぼくが自分たちよりずっと長生きだって知らない。虫には、授業もない、テストもない、学校もない。だけど友達は要るのかな? 一緒に遊んで飛び回ったりするのかな?

「ねぇ、何してるの?」
 空耳かと思った。虫の音に混じって女の子の声が聞こえた気がした。でもどこから?
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「一緒に遊ぼうよ」
 今度はさっきより大きかった。声のした方に向き直る。
 でもなんで森の中から聞こえてきたんだろう。この森は草がけわしくて、なかなか入りにくい。この中に居るなんて、何してるんだろう、ってそう思ったとき、茂った草の先、たくさんの木に囲まれてぽつんと立つ人影を見つけた。
「誰?」

 白い服。ワンピースみたいにヒラヒラしてて、白っぽい綺麗な肌をした、同い年ぐらいの女の子。
「こっちにおいでよ」
 その子はぼくを見て微笑んでいた。とっても、不思議な感じ。例えば、お菓子のお家がそこにあるような不思議さだった。「早くおいでよ」と、口では言わないけど、ぼくにはそう聞こえた。
 どうしよう? 行った方がいいのかな?
 そういえば、なんで森の中に居るんだろうか。森の周りにはロープがしてあって「立入禁止」って錆びた看板が立っている。看板がなくても、枝や雑草が邪魔して入ろうとも思わないし、入ったところで森はずっとこんな調子だし……。
 やがてその子は手招きをやめ、こっちを見ながら小首をかしげた。
 ふわぁ
 それは一瞬の出来事だった。その子は、蝶のように舞い上がると、ゆっくりと近づいて来て、ふわりと目の前に降り立った……ように見えた。実際には歩いて来たんだと思うけど……。
「ねっ、遊ぼう!」

 両手首に伝わる温かい感触。その子が握ったんだ。
 可愛い子に上目遣いに見つめられるなんて初めてだった。なんだか恥ずかしくなって言葉にならない。
「いいでしょ? ねぇ、いいでしょ?」
 何度も何度も、その子は恥ずかしもせず繰り返した。
「……うん」

 その子の名前はミキちゃん。ミキちゃんの身長はおんなじぐらいで、体はぼくより小さい……と言うより可愛らしかった。クラスで一番可愛い女の子より可愛いかも……あ、比べちゃうのは悪いか。
「タロウちゃんって言うんだ。よろしくねタロウちゃん」
 手をミキちゃんに引かれる形で、ぼくらは森の奥へ進んでいる。足の下の草や枝は、不思議と引っかからず、邪魔にはならなかった。引っかかりにくい道をミキちゃんが選んでくれてるのかも知れない。

 そのまま、ぼくたちは小さな広場に出た。ぽっかりと円く木がなくなっていて、代わりに低い草が広がっている。上を見ると、同じように空が円く切り取られていた。
「タロウちゃん、あんなところで何してたの? 家出?」
 ミキちゃんはちっとも悪びれもせず、笑顔でそう質問する。可愛い子と話すだけでも、ぼくは初体験なのに、こんな変な質問をされるなんてちょっとびっくりしてしまった。
「気分転換……かな」
「気分転換にこんな遠回りしたら、先生に怒られちゃうよ」
「先生には言わないもん」
 あれ、そういえば、帰り道じゃないってどうして分かったんだろう。
 森の中は、木が日傘になって太陽の光を遮ってくれる。だから外よりも涼しかった。日傘の隙間、葉と葉の間からキラキラと光がもれて、まだらな模様を地面の草々に映している。ヒグラシの合唱は、森の外より一段と強く、かすかな青臭い香りがぼくの鼻をくすぐった。
 横で座るミキちゃんは、さっきからぼくを質問攻めにしていた。そしてぼくの答えを興味深そうに、ウンウンと笑顔で頷きながら聞いている。学校のこと、先生のこと、好きな授業のこと、家で何しているか、そして友達のこと……。

 今さっきは、親のことを聞かれた。
「えっじゃタロウちゃんって、お父さんも、お母さんも居ないの?」
 うん、と少し元気なくうなずいた。事実だから隠してもしょうがない。
 みんな、可愛そうと言うけども、ぼくはそう言われるのが一番嫌いだった。学校にも他にも、お父さんやお母さんと一緒に暮らして居ない人が居るだろう。誰も言わなくても、なんとなく分かってしまうことがあった。そして、そういう「可愛そうな人」とそうでない「可愛そうでない人」は、何かが違うみたいだ。まるでそこにはない県境の線をいつも見ているんだ。ぼくは見えない線を。
「お父さんはもう居ないけど、お母さんは会おうと思えば会えるんだ。だから……」
 言葉が続かない。だからなんなんだろう、ぼくは何を言いたいんだろう。会いにいくとでも言うのか……。
 さらっと、優しい風が吹いた。優しくて気持ちのいい森の風。それに反応するかのように、木の葉がかすかにかすれる音を立てる。
「タロウちゃん、かくれんぼしようか?」
 ミキちゃんは、唐突にそう言った。さっきの話はもういいらしい。

「かくれんぼって……」
 小学四年生にもなって、かくれんぼだなんて……。と考えたのもすぐ、ミキちゃんの姿は既になかった。
「最初はタロウちゃんが鬼ね~~~」
 森に降り注ぐミキちゃんの声。ええ、ミキちゃん、どこ行ったの、いつの間に。

 ミキちゃんはなかなか見つからなかった。
 初め、森の開けた広場を一周したけど、たまに木がぽつりぽつりと生えているだけで、隠れるような場所はほとんどない。そのうちに「そこじゃないよ~」っていうミキちゃんの声が遠くから聞こえて、声のした方の森へと入った。
 森に入ってすぐ、クモの巣に引っかかって「うわぁ」と悲鳴を上げたら、ミキちゃんはクスクスと笑っていた。姿は見えないけど「タロウちゃんって面白い」なんて言われて、余計に恥ずかしくなって慌てて顔からクモの巣を取っ払った。
 今のが見えたってことは、近くに居ると思ったんだけど……やっぱり、ミキちゃんは見つからない。たぶん、じっと隠れてるんじゃなくて動いているだと思う。けれど、それらしい物音は何も聴こえなかった。

 森の、広場からそんなに離れていない場所をあちこち回って息も切れたころ、やっとミキちゃんの姿を見つけた。早く見つけないと、待たせちゃ悪いなって思ったのに、随分時間がかかってしまった。
「ミキちゃん……、見っけ」
 ミキちゃんは広場のすぐ近くに居た。ただし、木の上に。
「そんなことより、タロウちゃんこっちおいで」
 えっ、そんなことって……。鬼は一生懸命探していたのに、探される方は他のことに夢中だった。
 ぼくも頑張って木を登る。地面に近いところに、捕まりやすい木がなくて、勢いをつけてよじ登った。それにしても、ミキちゃんよく登れたなぁと感心してしまう。
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 ミキちゃんは、木の上で木の実を取っていた。赤茶けた色の、小石ぐらいの小さい木の実。ぼくも一緒になって、木の実を取った。
「この実って、食べられるのかな?」
 ふと感じた疑問を口にする。
「分からないけど、楽しいよ」
 なんか答え方が変だなって思ったけど、口には出さなかった。ミキちゃんは本当に楽しそうだったし、ぼくも楽しかったから。

 楽しい時間はあっと言う間だった。さっきまであんなに明るかったのに、地面の太陽模様がなくなって、まわりは少し暗くなってきた。
 今は広場で二人で寝そべっている。何もお話しないけど、ただ横にミキちゃんが居るのが、それが嬉しかった。でもずっと、こうしているわけにもいかない。帰ろうと思ってはミキちゃんの顔を横目に見ては、あと5分……と心に思う。まるで、朝寝坊しているようだ。
 それを何回か繰り返した後、やっと心を決めて「そろそろ帰らないと」と告げた。

 広場から森の入り口まで、ミキちゃんが道案内をしてくれた。ミキちゃんが居なかったら、一生森から出られないんじゃないかと思うぐらい、森の中は方向が分からない。
 ミキちゃんと遊びながら、一つ気になっていることがあった。ミキちゃんの背中には、小さく羽のような物が生えていた。服と同じ色だから、よく見えなくて、見間違えじゃないかと何度も思った。服の飾りかな、とも思った。だけどやっぱり、ミキちゃんの背中から生えているように見える。
「ミキちゃん、質問していい?」
「だめ」
 えっ、と思ってミキちゃんの顔を見る。そのまま三秒ぐらい。そして「うそ」と言うと、ミキちゃんはクスクスと笑った。
「なんでも聞いていいよ、タロウちゃんも一杯質問答えてくれたから」
「ミキちゃんの背中のこれ」そう言ってミキちゃんの羽を指さす。「羽……なの? 背中に羽があるの?」
 ミキちゃんはピクピクと羽を動かしてみせた。
 わぁっ動くんだ。

「この羽、タロウちゃん好き?」
 うん、と頷く。
 ミキちゃんはいたずらっ子みたいに笑いながら「あげないよ」って言った。ぼくは欲しいなって言ってないのになぁ……。その前に、その羽どうみたって「あげられる」ものには見えないよ。
「この羽はね、とっても大切なものなの。傷とか付けちゃたり、汚しちゃったりしてもダメなんだよ」
「ミキちゃんて妖精なの? それとも天使なの?」
 今度は、ミキちゃんは少し困った顔を浮かべる。
 なんか聞いちゃいけないことを聞いちゃったのかな、って不安になった。でもさっき、ミキちゃんはなんでも聞いていいって言ったし……、だけど好きなのをどうぞってお菓子を出されたときに、本当に好きなものだけ食べて怒られたこともあったし……。
「えっとね、ヒ・ミ・ツ。なんか、教えちゃいけないんだって」
 そう言ってミキちゃんは微笑む。けど、その答えは、やっぱり少し変だよ。だって、教えちゃいけない、ヒミツって言うのは教えてるのと同じなんじゃないの。

 やがて、森の入り口までやってきたとき、ぼくは目がくらみそうになった。だって森の外は何倍もまぶしかったから。
 ミキちゃんから離れ、ぼくは森から外に一歩踏み出す。
「待って、明日も遊ぼうよ」
 振り返ったぼくの前には、ミキちゃんの小指が掲げられていた。
「ねっ約束」
 掲げられた小指、それは幼稚園生でも知ってる指切りの格好。
 約束、ぼくにとってその言葉は特別だった。よく分からないけど特別で、何が特別なのかも上手く言えないけど、一つだけ、ただ一つだけ答えは決まっていつも通り。
「ごめん、約束はできない」
 寂しそうな表情を浮かべるミキちゃん。今日初めて見るミキちゃん。

 ぼくは気持ちが痛くなった。うんって頷きたかった、頷いて、自分の小指も前に掲げたかった。だけどそれは出来なかった。だからせめて。
「でも多分、明日もここに来たい気持ちになるかも知れない」
 それだけ言うと、ぼくは森を出て来た道を戻った。太陽は赤くなりはじめ、家に着くころには真っ暗になそうだ。
 十歩ぐらい歩いたところで、後ろからミキちゃんの声がする。
「タロウちゃん、待ってるから!」

(2)

 教室のドアを開けると、今日もケイタとトモヤがぼくの席で待っていた。
「昨日はどうしたんだよ」

「帰りに公園って言ったろ。すっぽかすなよ」
 昨日と同じように席に着く。約束なんてしてなっかたけど、昨日と同じことは言わなかった。だって、ぼくは公園に行ったんだから。
「嘘つくな!」ケイタが大きい声を出す。
「そうだ嘘つくな、待ったんだぞ。来なかったじゃないか」
 二人はぼくが嘘つきだと言う。でもぼくは嘘つきなんかじゃない。ちゃんと公園に寄って帰ったんだ。森を出て、学校を通り過ぎて、それから公園に寄って家に帰った。だけどそのときはケイタもトモヤも居なかった。誰も居なかったんだ。ぼくは悪くない。
 疲れたのか、二人は何も言わなくなった。その間に、ランドセルから取り出した教科書、ノートを机の引き出しにしまった。
「タロウ。どうしちゃったんだんだよ。前はこんなことなかったろう。タロウはオレの友達やめちゃったのかよ?」
 ケイタは、ぼくの体を掴むと前後に揺らした。
 ぼくとケイタは幼稚園からの友達だ。そんなのは、ぼくにもケイタにも、トモヤにだって分かってることだった。二人とも大好きな友達だ、友達だけど……。

「……タロウ、本当に昨日は来たんだな。本当の本当に来たんだな?」
 体の揺れは止まっていた。ぼくは、行った、とだけ言う。
 じっと見つめるケイタ。それを見つめ返すぼく。「いつ行った」か言わないのを、そんなことをすべて見透かされているようで少し辛かった。
「分かった」
 ケイタはそう言うが、ぼくには何が分かったのかさっぱり分からない。
「タロウ、今日も待ってる。約束だぞ」
 そう言い残しケイタは自分の席に戻っていった。トモヤもつられて席に戻る。
 だけどぼくはやっぱり、うんとは言わなかった。だって、約束なんてもう絶対しないって決めたんだ。


 帰りの会が終わって、廊下掃除を終えたぼくは、再びあの森に向かった。
 田んぼでは今日もおじさんたちが田植えをしている。だけど昨日より数が少なかった。苗が植わった田んぼの上では、あちこちアメンボウの水紋が広がっている。今日の太陽は昨日よりも弱くて、ときどき雲に隠れていた。町外れの森が近づき、ヒグラシの鳴き声がだんだん強く聞こえてくる。
「タロウちゃん」
 無くし物を見つけたかのような、驚きと喜びの混ざった声だった。ミキちゃんは、昨日と同じ場所に同じ白いワンピースみたいな服を着て立っていた。ぼくを見つけると、ミキちゃんは電気が点いたようにパッと明るくなった。
 昨日、たしかに約束はしなかった。約束はしなかったけど、今日もここに来たい気分になった。それだけのことだと、ぼくは自分に言い聞かせた。これは絶対に約束なんかじゃない。
「タロウちゃんが来なかったら、どうしよかと思った」
 歩きながら、ミキちゃんの気持ちを聞いた。ぼくの気持ちは説明しなかった。ミキちゃんが喜んでくれるなら説明しない方いい、とそう思いたかった。
 広場について、二人並んで腰を下ろす。こうやっていても、草のお蔭で服が土で汚れることはない。雑草って、何の役にも立たない邪魔者って思っていたけど、本当はすごい役立ち者なんだ。
 緑色の木の傘。そこに開いたまあるい空の切れ目。そこから雲がゆっくりと流れて行き、虫たちの合唱が四方八方から聴こえてくる。耳を澄ますと、ヒグラシに混ざってスイッチョや知らない虫の声も聞こえてきた。

 「これだけの声を出してよく疲れないな」と言うぼく。「タロウちゃんらしい」と言って優しく笑うミキちゃん。虫は、口で音を出してるんじゃないんだとミキちゃんが教えてくれた。
「なんで、泣く、なんて言うんだろう。紛らわしいなあ」
 ぼくは誰に言うでもなく苦情を漏らす。
「やっぱりタロウちゃんらしい」
 ミキちゃんはまた笑った。すぐに、漢字が違うって言われて、ぼくはものすごく恥ずかしくなった。だから「トイレ」って言って森の木陰に逃げた。
 その後はまたミキちゃんの質問タイム。好きな色に始まり、好きな花、好きな鳥、好きなおかず、好きなテレビ、好きな言葉……、そんなにぼくの好きなものを知ってどうするんだろう、と思ったけど、聴く内容にはあんまり意味がないみたいだった。ううん、ぼくの話を聞ければいいんだなぁってなんとなく分かったんだ。
「そうだミキちゃん勝負しようよ」
「えっ勝負って、マラソンでもするの?」
「違う違う、昨日集めた木の実でどっちのが実が一番美人か勝負するの」

 なんで勝負だとマラソンなんだろう。ミキちゃんだって、人のこと言えず十分「ミキちゃんらしい」よ。
 こっちの木の実の方が綺麗とか、ぼくの方が大きいとか、不格好だとか、互いに手持ちの中から出して比べあい。そのうちに、大きい木の実だからって美人でもないし、形が揃ってるからって見ていて美しいわけでもないことに気づき始める。
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「いやぼくのこの木の実が美人」
「ううん、タロウちゃんのより、私の方が美人」
「ぼくのだよ」
「わたしの。タロウちゃんのは、美人じゃなくて綺麗なの」

「そんなミキちゃんのは可愛いじゃん」
 ってやっているうちに、そのうちミキちゃんが一言。
「ねぇタロウちゃん、美人と綺麗と可愛い木の実って何だろう?」
 顔を見合わせて、沈黙。そして二人して大笑い。木の実の何が美人で、綺麗なんて、そんなよく分からないことを真剣に言い合っていたんだから、可笑しくて仕方ない。
 そうして、ミキちゃんとぼくは、ぽっかりあいた森の広場にあおむけに寝そべった。
「気持ちいいね、タロウちゃん」
 そう言って、ミキちゃんはぼくの手に自分の左手を重ね、そっと握る。
 最初に会ったとき、森の中へ遊ぼうって引っ張られたときと同じミキちゃんの手。今は、なんでもないのに、特に用事もないのにつながれた手。あのときは気にしなかったけど、女の子と手をつなぐのは恋人同士がすることだって聞いたことがある。そう思ったら、すごく照れくさくって、心がキュンとしちゃったけど、一番の気持ちは嬉しかった。
「今日タロウちゃん来てくれないのかと思ったんだ」

 ミキちゃんは森に投げかけるように、ふと呟いた。
「タロウちゃん、なんで来てくれたの?」
 木の陰に隠れはじめた雲。その隣に、ふっとケイタの顔が浮かんだ。「なんで来なかった」と言ったケイタ。「なんで来たの?」と言うミキちゃん。
 ぼくは答えなかった。止まっている二人の時間と、動いている森のヒグラシの音。
「会いに来てくれて、約束守ってくれてありがとう」
 まるで、大切な落とし物を見つけてもらったかのように、ミキちゃんは言った。ぼくは少し気持ちが苦しくなった。ミキちゃんにはちゃんと言わなきゃいけないのかも知れない。
「違うよ……ミキちゃん。ぼくはミキちゃんに会いたかったけど、約束したから来たんじゃないんだ」
 ミキちゃんとつながれた手。この手を通してぼくの気持ちはミキちゃんに、ミキちゃんの気持ちがぼくに伝わる。そうして二人の白い気持ちは混ざり合う。本当にそうなったらいいなって思うけど、それは幻想。ぼくはなんか灰色い気持ちをミキちゃんに送ってしまった気がして、なんだか悪い気がした。
 そしてミキちゃんは、その灰色を、昨日の出来事を思い返しながら別の色に塗り替えているみたいに、すごく丁寧な言葉で言った。

「タロウちゃん約束、嫌い?」
 約束……。母さんと、そして父さんとの約束……。守られなかった約束……。
「……嫌い。約束すると、嫌なことばっか起こるから」
 ぼくは、ぼつりと呟いた。
 もう何ヶ月経ったのか。耳に残るどなり声。そして食器が割れる高い音。ほっぺを叩く鈍い音。
 大好きな人が、大好きな人と喧嘩する。大好きな人が、大好きな人をバカにして、その大好きな人がまた大好きな人をののしる。そんな二人は大っ嫌いで、本当に本当に心の底から大っ嫌いだけど、やっぱりそれでも大好きだから……。だから、ただ泣くことしか出来ないんだ……。母さんはもう喧嘩はしないって約束した。父さんはぼくを一番大切だって、ぼくのために喧嘩はしないって約束した。二人とも絶対どこにも行かないって約束した。それなのに……。
 大きな雲が木の陰に隠れようとしている。さっきは先っぽしか隠れてなかったのに、今は半分以上隠れてしまっていた。
 と急に、空が見えなくなった。ミキちゃんが立ち上がって、ぼくの顔を覗き込んだからだ。真剣にぼくをみつめるミキちゃん。ぼくの目を通して、ぼくの考えていることをみんな見ちゃうんじゃないかって、そういう気持ちにさせるぐらいミキちゃんは真剣だ。
「タロウちゃん、私と約束して」

「だから、ぼくは約束は――」
 嫌いなんだ、と言い終える前にミキちゃんが応えた。
「タロウちゃん、好き嫌いしてると背が伸びないよ」
 そう言って口許を緩ませるミキちゃんは、今までで一番「ミキちゃん」ぽかったと思う。透き通るような優しい笑顔でぼくを叱るミキちゃん。だから、たまらず目をそらした。
 あの日を最後に父さんと母さんには会っていない。何日かして、父さんのお葬式があった。病気? 事故? と聞いても誰も何も教えてくれなかった。教えてくれないから、そうじゃないんだって分かった。そして誰かが教えてくれた。ぼくの父さんは約束を守れなかったのが辛かったんだ、って。だからぼくは……。
「明日、今日より30分早く来てほしいの」
 ミキちゃんは、昨日と同じようにぼくの前に小指を掲げ、再び真剣な顔をしている。
「タロウちゃん。わたしのこと嫌いじゃなかったら、約束して」
 そんな言い方はずるいよ、ミキちゃん。だって、もし約束しなかったら、ミキちゃんを嫌いってことになるじゃないか。そんな、だって……、ぼくはミキちゃんのこと……。


 帰り道。学校を過ぎた辺りで冷たい風が吹いた。
 もうすぐ夕立が来る。
 そこから駆け足で家に向かった。ギリギリセーフ。家に着いたと同時に勢いよく雨が降り出し、土の匂いがふわりと舞い上がった。
 やっぱり約束はできなかった。家に着いてもそのことばかり思い出していた。

(3)

 その日は朝から雨だった。空いっぱいに灰色い雲がおおっている。
 下駄箱の傘立てに黄色い傘を挿して、教室に向かう。誰かが靴のまま上がったのか、玄関の近く廊下はところどころ水たまりができていた。

 教室のドアを開けると、今日も机でトモヤが座っていた。だけど、ケイタの姿は見えない。
「タロウ、昨日も来なかったよな」
 そう言うトモヤは元気がなかった。
 何も言わず席に着くと、ランドセルを机に下げ、中から教科書、ノートを出して引き出しにしまう。トモヤはそんなぼくを何も言わずに眺めていた。
 一時間目の社会の教科書とノート、それとふでばこを机の上に出すると、トモヤの方を向いた。ぼくからは何も言わない。トモヤの言葉を待った。そしてその言葉にぼくはびっくりした。
「ケイタが風邪で、入院した」
 すごい熱を出して入院したんだとトモヤは言う。ケイタが風邪を引くのは、本当にめずらしいことだった。小学校に入ってからケイタが風邪を引いたのをぼくは知らない。
「今日の放課後、お見舞い付き合えよ。約束だからな」
 トモヤは今までにない強い目をしていた。目の中で何かが灯っているようだ。だけど、ぼくは……。


 六時間目の授業が終わる。外はまだ雨が降っていた。
 帰りの会が終わるのと同時に学校を飛び出す……はずだった。廊下に出たとこで体を両手で捕えられた。トモヤだった。

「タロウ! 掃除もしないでどこ行く気だ!」
「行くところがあるんだ、離してくれ」
 必死にもがいて抜け出そうとする。だけどトモヤは、離すどころか、蟻一匹分も力をゆるめない。
「お前ケイタの友達だろ。オレより友達長いんだろ。ならちゃんと、お見舞いに行けよ!」
 トモヤは廊下の反対まで聴こえるような大きな声を出した。トモヤも長い友達だけど、こんなにトモヤを見たのは初めてだった。トモヤがこんなにムキになるなんて……。
 そのおかげでぼくは少し落ち着くことが出来た。落ち着いて自分の気持ちを伝えた。

「ごめんトモヤ。でも、どうしても行きたいんだ。だから……」
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 学校を出ると一目散に森へと向かう。
 傘なんか差してる余裕はない。雨はあっと言う間に服と体をぬらしたけど、夕立の雨と違って冷たくなかったから、すぐに気にならなくなった。昔の人は服なんて着ていなかったんだから気にする事じゃない。ランドセルを学校に置いてきたのは正解だった。
 周り中から雨音が、田んぼから無数のカエルの鳴き声がひびきわたる。
 どれくらい時間がたったのか。体育の持久走でもこんなに走ったことはないというぐらい走ったところで、やっと森が見えてきた。
 ザーザーと雨が降っているのに、ミキちゃんはいつもと同じ場所に同じように立っていた。ただ気のせいか、いつもより少し寂しそうだ。
「ミキちゃん……」

 息を切らせながら、なんとか名前を呼ぶ。
「タロウちゃん待ってたよ」
 そのまま倒れそうなぐらい、息苦しかった。その場に立ち止まり、深呼吸をしようと手を組んで上に伸ばす。だけど、深呼吸はさせてもらえなかった。
「タロウちゃん急いで。間に合わないよ」
 ミキちゃんの声はいつもと違って力強かった。昨日「約束して」とぼくに迫ったミキちゃんの声と同じぐらい芯のあるひびき。だから、苦しい呼吸を我慢して、頑張ってミキちゃん居る場所へ、森の中へと入っていった。
 急いで、と繰り返すミキちゃん。だけどミキちゃんから近寄ってくることはなかった。そういえば、ミキちゃんが森から出たのは最初のあのときだけだ。
 疲れた体で、やっとミキちゃんの前にたどり着く。と同時に、ミキちゃんはぼくの左手をつかみ強く引っ張った。女の子とは思えない、ぼくと同じかそれ以上の力があった。ミキちゃんは、ぼくの背中から体の脇を通して両手をまわし、それをぼくのお腹のへんで結んだ。背中に感じるミキちゃんの体。
 えっ、えっ。ミキちゃんが抱きついてる……、背中から? 恰好はそうだけど、本当に抱きついているわけではなさそうだった。でもミキちゃんがなんのためにこんなことをするのか、全然分からない。なんだ、なんだ、なんなんだ?
 混乱して言葉にならない声を上げる。

「タロウちゃん黙って。時間がないの」
 えっ、と思った次の瞬間、ぼくの体は宙に浮いていた。
 そう飛んでいたんだ。
 ぼくの体を支えているのは、ミキちゃんは細い腕。そして不思議なことに、ミキちゃんの手は全くぬれていなかった。それどころか、全身どこもぬれていなかった。
「行くよ!」
 実際は声よりも動くのが先だった。宙に浮いたまま、森の木々を避けながらツバメの何倍も、何十倍ものスピードで奥へと進む。そしてあっという間に広場に出たと思うと、今度はそこから上空に向かいすごい速さで突き進んでいった。足元に広がる森と、田んぼと、学校。そしてぼくの住む町。それもすぐに小さく見えなくなって、灰色の雲を突き抜けた。
 気がついたとき、ぼくは光があふれる世界に立っていた。一面光の白しか見えない。まるで夢の中みたいな世界。
 そこにミキちゃんと手をつないで立っていた。ただいつもと違うのはミキちゃんの羽が、いつもよりうんと大きく広がっていたことだ。
「ミキちゃ――」

 ぼくの言葉はまたミキちゃんに遮られた。
「タロウちゃん。説明はあと。三分だけだからね」
 えっ何が……と言おうとしてぼくは目の前の人物に気がついた。
 それは会いたくても、会えなかったもの。失った約束……。
「父さん!」
 ぼくは父さんに飛びつき、思いっきり泣いた。
「なんで、どうして、居なくなったんだ、父さん!」
 父さんはごめん、としか言わなかった。ただただ「ごめん、ごめんタロウ」という繰り返す。そう言いながら、ぼくは強く抱きしめられた。ただ、それだけのこと。たったそれだけのことなのに、ぼくは涙が止まらなかった。
 そして、いつものぼくなら、このまま泣いていただけだったと思う。でもミキちゃんは、そのために父さんに会わせてくれたわけじゃないんだ。そう思ったとき、ぼくはそっと父さんから体を離した。正面からその姿をちゃんと見る。目の高さが全然違うのに、真っ直ぐ向き合えたように感じたから不思議だった。

「父さんは、ぼくとの約束を守れなかったから……、だから……」
 居なくなったの、と。否定してほしかった、そうじゃないって、ぼくのせいじゃないって、そう言って欲しかった。
 父さんをずっと見ている。何も言わない。どこも動かさない。首を横にふらない、違うって言わない。
 ……それはつまり「Yes」ってことだ。
 ぼくはがっくりとして、そのまま言葉を失った。約束なんてしなければよかった、そうすれば父さんとは別れないで済んだかもしれない。もしかしたら母さんとも一緒に居られたかもしれない。ぼくが喧嘩しないでって言ったから、だから父さんも母さんもぼくの前から去っていったんだ……。約束なんて、約束なんて……。
「タロウ」
 何も聞きたくない、聞きたくないから耳をふさぐ。
「今はまだ言っても分からないかも知れないけど聞いて欲しい」
 だけど、声は耳からでなく心にひびいていた。最初からそうだった、今頃気づいただけだ。

「父親ってのは、父親である前に人間だ。人間だから完璧じゃない。弱かったんだ、父親失格だったんだ。いつもタロウを傷つけてばかりで、親としてまともにタロウを導いてやることも出来なかった」
 父さんはそうやって自分勝手なことを言っている。父さんはいつも優しかった。叱られても、怒られても、叩かれても、それは優しさなんだってわかった。だって父さんは、そんなとき決まって、本当に辛そうで、悲しそうな顔をするから。あの約束をしたときも……。
「約束を守れなかったのは、父さん……いや僕自信の弱さだ。タロウは悪くないんだよ、僕が弱かったんだ。僕が僕を許せなかったんだ、タロウとの約束より自分が大切だった、僕がみんな悪いんだ。だから……」
 そう言って父さんは悪者になろうとするけど、父さんはちゃんと父さんで、悪者になんてなれいってぼくは知っている。近くに居てくれるだけで、居てくれるだけでよかったのに……。
「タロウ。父親らしいことは何も出来なかったかもしれないけど、親としてせめて見本には……」
 ふいに、ミキちゃんがぼくの体を後ろから抱える。時間だ。
「待ってまだ話が……」
 ミキちゃんは首を横に振る。
 父さんの声はすでに聴こえなくなっていて、辺りがだんだん光に包まれる。父さんの姿もどんどん薄らいで、そんな中、父さんはぼくの目を見て口を動かす。やっぱり声は聴こえなかった。聴こえなかったけど、ちゃんと父さんの言葉が伝わった気がした。

(4)

 ミキちゃんに抱えられ、いつもの森に、いつもの広場に降り立つ。
 今日はヒグラシの声は聞こえず、代わりに葉に当たる雨音がよく聞こえた。
 着地してその場に座り込んだ。体中に父さんの温もりが残っている。とっても温かかった。だけど、雨はその温もりを消すようにぼくの体に降り注ぐ。まるで、温もりと一緒に、父さんの言葉をかき消しすかのようだ。
 横では、ミキちゃんがゆっくりと羽をしまっていた。よく見ると肩で呼吸をしていて、苦しそうだ。
 そんなミキちゃんを見てると、心配になる。
「大丈夫よ、タロウちゃん。ちょっと頑張っちゃっただけだから」
 ミキちゃんは笑顔を作ってぼくに向ける。だけど、その笑顔はいつもとなにか違う感じがした。

「それに、まだやることは終わってないから」
 今日のミキちゃんは、なんだか年上のお姉さんみたいで頼もしいけど、ちょぴりミキちゃんらしくない気もする。
 ミキちゃんは、ぼくの前に向き直ると深く頭を下げた。
「タロウちゃん、こんな雨なのに約束守ってくれてありがとう」
「そんなだって……」
 約束なんてしてない、と言おうとした。だけど言葉が口から出なかった。
「指切りをしなくたって、わたしはタロウちゃんと約束したの。タロウちゃんがウンって言わなくても、わたしはタロウちゃんと約束した。そしてタロウちゃんは、一所懸命約束を守ってくれた。守ろうとしてくれた」
 ミキちゃんに、約束しようと言われた。ぼくは何も言わず、首を決して縦に振らなかった。だけど、横にも振らなかったし、いやだとも言わなかった……。つまり「Yes」って思われても仕方ないじゃないのか。それを約束しなかったというのは、今日国語の授業でやっていた「きべん」ってやつじゃないのか。
 とたん、ぼくはなんて酷いやつなんだと自分が大嫌いになった。今まで何度同じことを繰り返したんだ、ぼくは……。

 あっ!
 まだ手に残る父さんの温もり。そして父さんの、最後に受け取った父さんの言葉。今はそれを胸の奥にしまう。
「ミキちゃん、父さんに会わせてくれてありがとう」
 これがぼくの精一杯の気持ち。
 でも今は、まだやることがある。やらなきゃいけないことがある。
 ぼくは真っ直ぐにミキちゃんを見て、背筋を伸ばした。
「お願いがあるんだ」

(5)

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 森を出ると、学校に向かって走り出した。
 疲れていたけど、雨はまだ降っていたけど、来るときと同じぐらい一生懸命走った。ぼくは走らなくちゃいけなかった。そんな気持ちを知らない雨とカエルは、まわりでやかましく騒ぎ立てる。
 学校に戻ると、トモヤは校門で待っていた。決して戻ってくるとは言わなかったぼくを、トモヤは待っていた。トモヤは戻ってくると信じていたんだ。
 校内に隠しておいたランドセルを持ち、ロッカーに置きっぱなしになっているプール用のタオルで体を拭く。そして今度は、ちゃんと傘を差して校舎の外に出た。そのままトモヤと一緒に病院へ向かう。
 傘に当たる雨粒の音が二つ、並んで歩く。
 病院に着くまで、トモヤは何も言わなかったし、ぼくも何も言わなかった。トモヤはぼくを待っていたし、ぼくはトモヤの元に戻ってきた。それだけのことだから、言葉なんて要らないんだ。

「今眠ったところなのよ」
 病室に入るとケイタのお母さんがそう教えてくれた。
 ケイタは眠っているけど顔が赤くて苦しそうだった。ヘントウセンがどうした、とか言っていた。
ヘントウセンがなんなのかは知らないけど、風邪を引くと大変だって事だけは知っている。ぼくは、ケイタは風邪を引かないんだって思っていたけど、本当は風邪を引くと大変になるので引かないように注意していただけなんじゃないのか。
 注射をしたんだけど、ケイタの熱はなかなか下がらないって話をしていた。
 ときどき辛そうに顔をゆがめるケイタ。ぼくとケイタは幼稚園のときから、ほんとうによく遊んだ。公園、土手、河原、水路にグラウンド。この町にはぼくたちの遊び場が一杯あった。クラスが別になっても、ぼくとケイタはいつも友達だった。
 ぼくの両親が居なくなってから、ぼくとケイタの間に一つ変化が訪れた。「遊ぶ約束」をしなくなったことだった。一緒に帰って遊んだり、連れられてどこかに行くことはあったけど「約束」することはなくなった。ぼくは「約束」と関係するものは、すべて避けて通りたかったから。
 やがてトモヤとケイタのお母さんがベッドから離れた。今日配られたプリントを渡すためだった。
 ぼくは右手でポケットを確認する。それはちゃんとポケットに入っていて、それをそっと取り出した。カラスより小さな、そして真っ白な、ミキちゃんの羽を。

 チャンスは今しかない。
――わたし、まだ子供だから凄い力はないけど、それでもちょっとした願いなら……熱ぐらいなら下がるかもしれない。
 二人に見られないように、羽をそっとケイタの喉に乗せる。ミキちゃんの羽は、スーっと半透明になると、喉へと沈み、そして消えた。
 それからすぐに、ケイタの表情が和らいだ。
 ぼくは気づかれないように、小さく喜んだ。
「タロウ君にトモヤ君。来てくれてありがとうね。お見舞いのおかげか熱も少し下がったようだし、ほんとうにありがとうね」

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 帰るとき、ケイタのお母さんに沢山感謝された。

 でもぼくは……素直に喜べなかった。

(6)

 次の日は、昨日の雨が嘘みたいにいい天気だった。
 教室の中はサウナのようで、とても授業なんか聞いてられなかった。ただ、暑くなくても、多分ぼくは授業をまともに聞けなかったと思う。
 放課後。ぼくはいつも通りに森へ向かった。
 今日はもう、田植えをしているおじさんは居なかった。せき止められた水路の水は、昨日の雨のせいかところどころ溢れ、道をぬらしていた。
 聞き慣れたヒグラシの音が近づき、森の前にたどり着いた。だけど、森のどこを見てもミキちゃんは居なかった。

 でもこれぐらいでは諦めない。森の中へと入っていく。広場まで行けばミキちゃんに会える、そんな気がしたから。
 だけど、ぜんぜん広場にはたどり着けなくて、ぼくは森の中をさまよった。よく考えれば、当たり前のことだった。何の目印もない森の中を、右も左も分からない森の中を、真っ直ぐ広場まで行ったり来たりできるはずがなかった。普通なら今のぼくみたいに迷子になっているはずだった。その上、今までは邪魔だと感じなかった草木や枝が行く先々で手を妨害する。
 どれくらい歩いたか分からない。ヘトヘトになるころ、なんとかようやく広場にたどり着くことが出来た。そして……
「タロウちゃん……なんで?」
 居た。いつもと同じヒラヒラした白い服を着て、背中に小さな羽を生やしたミキちゃんがそこに居た。
 ミキちゃんは、ぼくを見つけると驚ろいたような複雑な表情を浮かべる。
「お礼を言ってなかったから」
 誤魔化すように苦笑いをしながら、半分だけ嘘を付いた。
 そしていつかしたように、二人並んで横になった。でもミキちゃんは、ぼくと手をつないではくれなかった。

 まあるくあいた空には雲一つ見えない。どこまでも青い色の空。森に吹くすずしい風と、騒がしいぐらいのヒグラシの合唱団。
「昨日はありがとう。ケイタ、今日退院するって」
「よかった」
 ミキちゃんは喜んでいた。でもどこかぎこちない。
 だけどぼくもぎこちなかったから、おあいこだ。だって、言わなきゃいけなかったから。ミキちゃんにちゃんと言うって、そう決めたから。
 また風が吹いた。風は草の匂いを運び、草はすれて音を立てる。なんだか風に応援されているみたいだ。
「ぼくがミキちゃんと会った日。あの日、ぼくはケイタたちと遊ぶことになってたんだ。帰りに公園に集合って。だからぼくは、公園とは、自分の家とは反対の方向に歩いた。そうやってこの森に来たんだ。そしてミキちゃんと会った」
 ミキちゃんは何も言わなかった。
 だからぼくは、確かめるようにミキちゃんの左手を探し、そしてつないだ。ミキちゃんは、ぼくの手を離そうとはしなかった。いつかつないだ手。気持ちがつながった気がした手。そして昨日、ぼくを支えてくれたミキちゃんの手。

「その日の帰り、ぼくは公園に行った。でもケイタは居なかった。暗くなってたから居るはずがなかった。それが分かっててぼくは公園に寄ったんだ。次の日、ケイタがぼくに嘘つきって言ったから『行ったら居なかった』言い返した。そしたらケイタ『今日も待ってる。約束だぞ』って。でもぼくはミキちゃんに会いにここに来た。そしてここから帰り道、夕立雲を見つけたぼくは、急いで家へと帰った……」
 この先は話すのも辛かった。紛らしたいから、ミキちゃんの左手を軽く握る。ミキちゃんはそれに答えて優しく握り返してくれた。体はぼくより小さいけど、やっぱりお姉さんみたいだ。
「家に帰ってから、ミキちゃんと出来なかった指切りのことばかり思い出したいた。ぼくはそれしか思い出さなかったんだ! 昨日、ケイタのお母さんが言っていた。その日ケイタは真っ暗になってから帰ってきたって。ビショぬれで帰ってきたって。体が冷えきってブルブル震えて帰ってきたって……」
 ケイタは元々、風邪を引いたら大変な体なんだ。雨にぬれて体が冷えたら、自分がどうなるかそれぐらいケイタだっけ分かっていたはずだ。それなのに待っていたんだケイタは、ぼくを信じて……。
 言葉はかすれ、目からは涙がこぼれそうだった。
「それでケイタは『どこに居たんだ』『何してたんだ』って何度言われても、何度怒られても、何も言わなかったんだって。なんでドシャブリの中、外にいたのか、なんでそんな暗い時間になるまで帰ってこなかったのか、絶対言わなかったんだって。そして……、そしてケイタは……」
 空がかすんでよく見えない。涙のせいだ。
 ミキちゃんは、何も言わずに頬をなでてくれた。ミキちゃんは手をつないだまま体を半分起こして、反対の手で涙をぬぐってくれた。
「タロウちゃんの気持ち、痛いぐらい分かるよ。伝わってるよ」

 なんだか本当に、気持ちが伝わってるみたいだった。
 ぼくの涙が止まるまで、ミキちゃんはずっとそれをぬぐってくれた。
「ほんとうにケイタのことありがとう。それと父さんに会わせてくれてありがとう」
 ミキちゃんは大きく頷くいて、「タロウちゃんって、本当に優しいんだね」と微笑む。そんなことはな、ぼくなんかちっとも優しくなんかない、優しかったらすっぽかしたり、避けたりするもんか。
 そんなぼくの気持ちが分かっているかのように、ミキちゃんは丁寧に言葉を続けた。
「タロウちゃんが誰かを想って自分を傷つけちゃうところ。タロウちゃんは自覚ないかも知れないけど、そういうのってすごいことだよ。そんな優しいタロウちゃん、わたし好きだったよ」
 サラっと風の吐息のように、流れた言葉。
 そして、ミキちゃんは少しだけ悲しそうな顔を浮かべた。やっぱり何かいつものミキちゃんと違う。何なんだろう、気持ちばっかりが焦るけど……。
 ミキちゃんは手を自分の羽に伸ばし、羽を一枚ツッと引き抜く。

 えっ?
 そしてその羽をそのままぼくの前に差し出す。
「はい、これ特別にタロウちゃんにあげる」
 ぼくはすぐに左手で羽を受け取った。右手はミキちゃんと結んだまま。
 真っ白い羽だった。ちっちゃくてかわいい羽。昨日は気づかなかったけど、触ってる感じが全くしない不思議な羽。
「でもどうして?」
「タロウちゃんがちゃんと約束を守ったから。わたしとの約束、そして昨日お友達としたお見舞いに行く約束」
 ぞれが約束だったとぼくはまだ思えない。だけど、もう約束じゃないとも思えなくなっていた。だから、何も答えられない。
「タロウちゃんはまだ約束するの嫌い?」

 約束……。昨日の父さんの感覚、ぬくもり。そして父さんの言葉。
――タロウは約束、ちゃんと守ってあげるんだぞ。
 約束を守れなかった父さん。守ろうとしてくれた父さん。そんな父さんが、父さんみたいになるなよ、って言うんだから笑っちゃう……。
 約束は嫌いか。嫌いってうなずくことなんて出来ない。でもまだ、今はまだ横に振ることもできなかった。それが本当に悔しかった。
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「……そっか」
 ミキちゃんはちょぴり残念そうに言うと、立ち上って、スッとぼくの手を離した。

「好き嫌いしていると、背が伸びないよタロウちゃん」
 いつか聞いたミキちゃんの言葉。微笑みかけるミキちゃん。何度も見たミキちゃんの笑顔。
「わたしね、タロウちゃんと違って、たくさん約束破っちゃったの。掟っていう約束……」
 ミキちゃんはめいっぱいの笑顔を浮かべる。だから無理してるのがぼくにも分かっちゃった。
「タロウちゃん。一緒に遊べてすごく楽しかった」
 ミキちゃんはそのまま羽を広げ空へと舞い上がる。
 ぼくはあわてて飛び上がるとミキちゃんに駆け寄った。だけど遅かったんだ。
「じゃあね、タロウちゃん」
 その間にもミキちゃんはどんどん空へと遠くなる。

「ミキちゃん!」
 大きな声で叫んだ。ミキちゃんは何も言わない。
 森の木を超え、風船のように、風船より速く空に向かうミキちゃん。
「また一緒に遊ぼうって、一緒に遊ぶって!」
 ミキちゃんの姿はどんどん小さくなっていく。
「返事してよ。ミキちゃん、また遊ぶんだ、ミキちゃん! また一緒に遊ぶんだよ」
 ミキちゃんはかすかに頷いたように見えた。でも遠くてよく分からない。
 ミキちゃんの姿は今にも見えなくなりそうで、だからぼくは出来るかぎり、おもいっきり力を入れて、叫んだ。
「約束だからなーーー!!」


 まるく切り取られた青い空。何も見えなくなった青い空。雲一つない青い空。
 そんな空から落ちてきて、ポツりとほっぺに当たったもの。それはぼくの一番好きな娘の涙だった。

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「雪の妖精」

はてブ数 2003/02/01 創作::小説
初めてムード優先で書いた作品。それまでテーマありきでしか書いてきませんでしたが、肩の力を抜いて「雪」について描こと考えて作りました。脱「脚本小説」をめざし、作品世界の描写に特に気を遣いましたが、背景が目立ちすぎてしまったのがやや問題でした。

雪の妖精

 教室の窓の外、いつもなら遠くの山まで見渡せる景色も今日は薄暗く、空は厚い雲に覆われている。雪はそんな空から地面に向けてしんしんと舞い降りていた。私は教室の中から雪の舞う空をぼんやりと見つめる。
「ホントだよ、ちゃんと居るんだってば!」
 視界の隅に映る清乃(きよの)の声が聞こえる。半分泣きそうな声。
「バッカみたい中学生にもなって何言ってるの」
「そうそう、アニメじゃないんだから」
 周りの子は、誰も清乃を相手にしていなかった。

───────────────────
雪の妖精 ~ believe in feeling? ~
───────────────────

「清乃、この先どこまで行くの?」
「まだまだ、ずっと先、一番奥のところまで行くの」
 清乃は楽しそうに微笑みそう答えた。
 雪の積もった自然遊歩道。学校のほど近い山にその遊歩道はある。葉が落ち、本来なら寂しさを感じさせる森の木々も、白い化粧をまとって優しさすら漂わせる。時々、重みに耐えかねたのか雪が落下しその音を響かせていた。たいして奥まで来たわけではないのに、すでに街の喧騒は聞こえない。
「たしかそんなに近くなかったよねぇ……」
 わざと聞こえるように呟いてみる。
 清乃は、すぐに反応した。
「そんなに、聡子(さとこ)行きたくないの? それとも私を信用してないの?」
「そういうわけじゃけど……」私はすぐに言葉を引っ込めた。
 清乃は教室でからかわれたのをかなり気にしているようで、普段見せない悲しい目をしていた。
 放課後、下駄箱で履き替えていたところで後ろからふいに声をかけられた。「聡子は信じてくれるよね?」と。清乃は私が出てくるのを待っていた様子で、私は一瞬なんのことか分からなかった。
──でもやっぱり気乗りしないなぁ……
 とはいえ、ここまで来てしまった以上、既に諦めは付いている。
「一番奥って、たしか池があるとこだよね?」
「そう、池のあるところだよ」
「あの池って水が綺麗なんだよね、たしか。今もまだ綺麗なのかな、池の水」
 そう言いながら、私は池を記憶の奥から手繰りよせる。
 この先にある小さな池はいつでも綺麗な水が張っていて、それが好きだった私は小学生の頃、友達とよく遊びに行っていた。
──そういえば、いつから行かなくなったんだっけ……
 清乃が言うには、池の辺りに丸くて平らな石があって、その上にちょこんと居るのだという。「早く会いたいよね」と清乃ははしゃいだ声で言っていた。清乃は時折思い出したかのように、楽しそうに微笑んでいた。
 私は清乃の話を信じてはいない。だけど、そんな話を無邪気に話す清乃は大好きだった。いつまでも純粋で真っ直ぐな清乃。みんなは子供っぽいと清乃をからかうけれど、私はいつまでも清乃は清乃で居て欲しいそんな風に漠然と想っている。
「聡子遅いー、先行っちゃうよ」
 気がつくと清乃は私のずいぶん先を歩いていた。

 もう歩き初めて20分ぐらい経っただろうか。どうしても歩くのがゆっくりになってしまうせいか、まだ目的地にたどり着く様子はない。雪はだんだん深くなり、ずいぶん前から足元は踝の上まで雪に埋っていた。地面も全く見えない。
 先へ進むにつれて木が多くなり、一層静けさと薄暗さが増していた。朝からの降り積もった雪が周囲の音をすべて吸い取って、歩く音と息づかいだけが繰り返し聞こえてくる。空には相変わらずの厚い雲、そして雪。白、茶色、そしてほんのちょっとの緑と灰色の世界。ここが、本当に私の暮らす町なのかと少し疑いたくもなる。
 歩きながら、ふと空を見上げる。天井覆う雲の音が聞こえてきそうなぐらいだ。そして空から舞い降りる雪。見上げて間もなく、雪を駆け上がる感覚に襲われた。天に向かって進む不思議な感覚。楽しい感覚。出来ることならずっと味わっていたいこの感覚……。
「聡子危ないよ、前見て」
 急に清乃の声がして現実に戻される。
 が、次の瞬間、左肩に鈍い痛み。叩くような低く音と共に、地面に倒れ込んだ。そして、上から落下物が私に降り注ぐ。
「聡子ー」
 清乃の声だけが聞こえる。
 どうやら、いつの間にか歩道を逸れ、脇の木にぶつかってしまったみたいだった。
 少ししてから私は体制を建て直し、体の状態を起こした。
「冷たぃ!」
 背中にヒヤっとした冷たさを感じる。落ちた雪が少し背中に入ってしまったようだ。私は、右手で服と背中の間に空間を作り冷たさを凌いぐ。雪はすぐに溶けたようだったが、今度は左肩に痛みを感じた。
「上なんか向いて歩くからだよ。どうしたの? なんで上なんか向いてたの? 怪我ない? 大丈夫?」
 清乃は私の顔を心配そうに覗き込んでいる。
「うん、なんとか」
 私は後の質問にだけ答え、それから右手で体の雪を払った。
 地面の雪がクッションになったおかげか、幸い、肩以外は痛くなかった。
「空なんか見てたら危ないよー。もー」と言う清乃。かと思うと「今の音で怖がって妖精さんが逃げちゃったらどうするの?」と続けた。
──清乃は私と妖精、どっちを心配しているんだろう?
 そんなことを考えていると、清乃は右手を私に向けて延ばした。
「痛いの痛いのとんでけー」
 一瞬言葉を失う。
「どう? 痛いのちゃんと飛んでいったでしょ?」
 なんだかすごく照れくさかった。でも清乃はそんな私の様子には気づかず、得意気にだった。
 私は、無意識に苦笑いして左手で髪を掻いた。
「うん手も動くし、肩、大丈夫みたいだね」
──あれほんとだ。
 手が動いたと思ったら、なんだか痛みも大したことはないように思えてしまう。
「どうする? 行くのやめとく?」
 そして少し間をおいてから小声で「少し残念だけど……」と呟いく清乃。
 一瞬、このまま帰るいい機会だと思った。
 でも、私は……
「うん大丈夫。いこう、か」
 先に進む私たちを、化粧の取れた裸の木が見送っていた。

「あっ見えた、池だよほら」
 そう言うと、清乃は少し足早になった。私も負けずに付いていく。これだけ疲れているのに、何故か不思議と元気が出る。
「着いたね聡子」息を切らせながら清乃が言った。
「うん」私もそう答えるのがやっとだった。
 私たちは呼吸を整えながら辺りを見渡した。
 目の前には直径20mぐらいの池があった。水面は凍っておらず、茶色い底の土がちゃんと見えた。水面に落ちる雪が触れた瞬間に溶け、池の水と一体となる。雪の大地にぽっかりと空いた、まるで大きな瞳。
 呼吸も整ったころ、私は清乃に訊ねた。
「それで、石はどこにあるの?」
 その石は、池を挟んで歩道と反対側にあった。雪は踝の倍ぐらいの深さまで積もっているけど、それでも石の側面を見ることが出来た。ほんの数cm。表面はお盆ぐらいの大きさで、まるで白いステージに映る。
 私たちはその小さなステージから少し離れたところに座る。コートを着ていてもお尻がひんやりと冷たかった。
 隣で石のただ微笑みながら見つめている清乃が居る。本当に楽しいのだろう。
 私はその妖精のことを清乃に聞いてみる。
「清乃、そのさ、どんな感じなの? 『よ・う・せ・い』って」
 いざ口に出して言うとなんだか恥ずかしい単語だった。
「うんとね」
 清乃は一呼吸して、続ける。
「私の手のひらより少し大きいくらいの、妖精さん。羽があって、浮いているの。絵本とかで見るのとそっくりで、ほんと見たらびっくりするよ。髪の毛は緑色なの。体は細くて、小さい顔があるんだけどね、本当に可愛いんだ」
 私はただ前に広がる世界をみつめながら、頷き、そして清乃の話に耳を傾けた。
「妖精さんは、雪の上で踊りを踊っているの。回ったり跳ねたり、小さい体をひねったりしながら、すごいね、すごく楽しそうに踊るんだ。それを見てると、とっても幸せな気持ちになれるんだ」
 不思議と清乃の話に魅せられそうになる。この雪の世界になら、こんな日常と離れた世界になら妖精が居てもいいと思えてくる。
「……見てみたいかも」ふと言葉が漏れた。
「こうやって待ってれば、きっと会えるよ!」
 元気一杯に清乃は答える。かと思うと、すぐにハッとして小声で「大声出したら妖精さん逃げちゃうよね……」と言った。
 空からは舞い降りる雪は、私たちをだんだんと白くしていく。私も清乃も積もる雪を払おうとはしなかった。
「雪……、雪の世界に溶け込んでいくみたい」
「この雪の世界は雪の妖精さんが大好きな世界なんだから、聡子も私もその世界の一つにならなきゃ妖精さん来れないよね」
 よく考えれば支離滅裂だと思う。でも、今の清乃の言葉にはなぜか説得力があった。
 私はわき出た疑問を口にしてみる。
「ねぇ、妖精は、普段どうしてるんだと思う?」
 今度は妖精という言葉に抵抗がない。
「えっと……」清乃は少し上を見げ、そして丁寧な言葉で続けた。「雪の妖精さんだから雪が降ってないときは、妖精さんたちの世界に居るの。そこには、水の妖精さん、星の妖精さん、森の妖精さん、氷の妖精さんとか一杯一杯居て、仲良く暮らしてるんだ。毎日、この世界にやってこれる妖精さんは一人って決まっているの。今日は、雪の妖精さんがこの世界にやってこれる日。雪が降ってるから妖精さんが来るんじゃなくて、雪の妖精さんがやってくる日だから雪が降るの」
 熱心に話す清乃の目は輝かていた。まるで、その目でその妖精の世界を見てきたかのように、次々と妖精の世界をひもといていく。
 そのうちに私もその世界を感じ始めていた。
「妖精さんたちはいつも仲よしなんだけどね、本当は火の妖精さんと氷の妖精さんだけ仲が悪いの。みんなと一緒に居るときも、火の妖精さんと氷の妖精さんはあんまり近寄ったりしないんだ」
「もしかすると……」少し躊躇しながら、私は感じたことを言葉にしてみた。「火の妖精と氷の妖精は仲が悪いんじゃなくて、二人とも大好きなんだけど近くに居ると氷の妖精が大変だから離れてるじゃないかな?」
「えっそうなの?」
 落ち着いて、それでも興味深そうな表情を浮かべる清乃。
「本当は、二人とも仲良くお話してみたくてしょうがないんだよ」
 私の中で妖精の世界がリアルになっていく。現実には存在しない、そんなことは分かっているのに。

 翌朝。
 昨日の世界はどこかに消え、空は青く太陽が輝き、雪は既に溶け始めていた。地面は所々土を覗かせ、残った雪はキラキラと太陽の光を反射させまぶしいかった。
 校門に入るところで、私は清乃の姿をみつけた。
「あっおはよう、清乃」
「おはよう……」
 声に心なしか元気がない。
──昨日のこと気にしてるのかな……
「この分だと雪、溶けちゃうね……」
 そう言う清乃の表情はどこか寂しげだった。
 校門から下駄箱までは人の通り道は雪が完全に溶けている。
「日直だから、清乃先に教室行ってて」
「うん、また」
 清乃と下駄箱で別れると、私は職員室に向った。職員室前の棚から日誌と出席簿を取り出す。昨日の雪のせいか、廊下の空気はピンと張って冷たい。教室のドアを開けると既にみんな半分ぐらい来ていて思い思いに話をしている。
 私は出席簿を教員机に置いて自分の席に着いた。みんなの話し声やストーブの低い音。それに混じって聞こえる、清乃の席からの話し声。
──清乃。昨日、森の奥に入ったいくのを見たわよ。まさか妖精を見に行ってとか言わないわよね?
──そうよ、それが何か悪いの
──それで、妖精とやらには会えたのかしら?
──返事がないってことは、会えなかったのね。当然よね、居るわけないんだから。こんなことに付き合わせるなんて聡子もいい迷惑よね。
──そうそうちゃんと聡子に謝った方がいいんじゃないの? 「子供じみたこと言ってごめんなさい」って。
──ほんとぉ、あんた何歳になったのよ?
 清乃の席は心地よくない笑い声に包まれていた。

 案の定、まぶしい陽射しで日向の雪はほとんど溶けてしまっていた。
 下駄箱で靴を履き替えながら、ふと昨日のことを思い出す。昨日、放課後の下駄箱から始まった出来事を。昨日は雪で薄暗い世界、今はまぶしい光の世界。
──ちっともリアルじゃないよ
 玄関を出たところで今日も清乃に声をかけられた。
「聡子、今日もちょっと付き合って……」
 清乃はそれしか言わなかったけど、私には十分だった。
 遊歩道は思ったよりも雪が残っていた。森の木が陽射しを遮るのか、ところどころ地面の茶色い色が見えているけど、まだ白いところの方が多い。
 昨日の情景を思い出しながら、同じ道を、同じ二人が歩いていく。
「あっこれ昨日私がぶつかった木」
 根元の雪が不自然な形をしているので、すぐに分かった。
「ほんとだね。聡子って頭よさそうで抜けたところがあるよね」
「このっ」
 そして二人で微笑んだ。今日初めてみる清乃の笑顔だ。
 今は、空を見上げてもさわやかな青しかない。青は好きな色だけど、今求めている色は青じゃなくて灰色。昨日の灰色。
「そういえば聡子、肩大丈夫なの?」
「全然平気。清乃のおかげだよ。大丈夫だと思ったら大丈夫になった、気持ちは形になるみたい」
 そしてまた、しばらく二人で歩き続ける。
 池も近づいてきた頃、清乃はゆっくりと話し始めた。
「小学生の頃だった。私はあの池が大好きだった。いつ来ても澄んだ色をしてて、キラキラ光る水が大好きだったの。母さんは危ないからって言って、たしか学校でも行っちゃダメってことになってたけど、私はよく内緒で見に来ていたの」
 清乃の言葉を聞いて思い出したことがあった。
 当時、あの池はクラスの間でひそかな人気になっていた。だけど、子供たちだけで森まして池に行くことを心配した親たち、そして小学校が池に遊びに行くことを禁止した。
──それで私は行かなくなったんだ。
「昨日みたいに雪が一杯降った日。たしかその日も小学校が午前放課になって、校庭で雪合戦をする男子たちを横目にこの道を通って池に向かった。小さかったから来るまで大変だったけど、でもあのときの、雪と池は本当に素敵だった。今でもよく覚えている」
「うん」
 昨日の景色を思い浮かべながら、大きく頷く。言葉なんか余計だった。
「池のほとりに座って、何をするわけでもなくただ眺めていたの。私、池も、そして雪も大好きだった。だからずーっと見てたの、水面に吸い込まれる雪や、地面に落ちて私の足跡を消す雪。そして私の体に積もっていく雪。みんな同じ雪なのに、みんなちょっとずつ違うの」
「そのときに会ったの、妖精に?」
 私は核心に触れる。けれど清乃の答えは予想外のものだった。
「ううん、会えなかった……」
 そのまま私たちは、無言で歩き続けた。
 間もなくして池に着いた。太陽の光を反射する池、上の雪が溶けて完全な姿を見せた石、それは昨日と明らかに違うものだった。
 私たちは昨日と同じ場所に中腰で座った。地面は、溶けた雪が土と混ざりぐじょぐじょになっていた。
 そのまま二人で変わってしまった景色を眺める。頭の中では、清乃の言葉と昨日の情景が駆け巡っていた。日常を忘れさせる雪世界。そんな白い世界に囲まれて、妖精の世界を感じることができたあの瞬間。
 やがて清乃が唐突に言った。
「雪が大好きな男の子に妖精さんが雪を降らせる物語」
「えっ?」
「私は小さいころ、それに憧れていた。会いたいって。子供の私は座って雪と池を眺めながらずっと考えてた、妖精さんたちの世界を。『そこにはどんな世界が広がっているんだろう』って。そう考えたら、凄く凄く楽しくなって、本当に妖精さんが近くに居るような気がしてきたの。それで……」
 清乃はそこで一旦言葉を止め、ゆっくりと深い呼吸をする。それから小さく頷いてから、石の方に視線を向けた。
「それで、妖精さんのことを真剣に考えながら、ふとこの石に気づいたの。雪がぽっかりと盛り上がった、ステージに。そしたらね、雪の妖精さんが踊ってた。楽しそうに、そして熱心に踊ってた」
「えっでもさっき、会えなかったって……」
「うん会えなかった。本当に妖精さんが踊ってたんじゃなくて、踊ってたように見えただけなの。だってそのとき、ハッと気づいて見たら居なくなってた。ううん、居なくなったんだと思った」
「でもなんで、それが本当に会ってないって、分かんないじゃない、そんなの!」
 無意識に出た言葉、言ってから自分でびっくりした。
「ごめん……」
 清乃は隣で俯いている。私はそれを見て我に返った。
「あっ、その……こっちこそごめん。いきなり大声だして……」
「ううん、いいよ」
 なんだか知らないけど、もどかしくて、やりきれなくて……。自分でもなんだか分からないわだかまり、それをぶつけてしまった……。
「それでさ、聡子は、本当に本当に信じてる妖精のこと?」
「……」何か言おうとするが言葉にならない。
「いいよ無理しないで。答えなくても分かってる。私だって、本当に信じてた訳じゃない。みんな私のことを子供だ子供だって言うけど、本当は分かってるの。この歳になれば、現実と空想の区別ぐらいちゃんと付いてる。そこまでバカじゃない」
 このとき、私の中で何かが崩れようとうしいた。崩れかけていた何かが、はっきりと確実に崩壊していく。
「だけど、それでもやっぱり悔しかった。私の昔の気持ちまでバカにされてるみたいで……。これじゃだめだよね、私。中学生なんだから早く大人にならなきゃ。いつまでもそんなことを大切にしてちゃダメなんだよね?」
 崩れていくもの、それは私の中で生まれかけた妖精の世界なんだと、このとき気づいた。
「多分、違うと思う」
 清乃にそして自分に向けて言った言葉。
「えっ?」
 清乃はその言葉に動揺していた。
「昨日、私と清乃が見たあの白い世界、そして二人で一緒に感じた妖精さんたちの世界。現実に存在しない、それは事実かもしれない。でも、そうじゃないんだよ」
「そうじゃない?」
「昨日、清乃は目を輝かせて妖精さんの世界を感じていた。私も、ワクワク、ドキドキしながらその世界に浸っていた。今にも雪の妖精さんが現れて、そして私たちの前で踊りを見せてくれるって、そんな感じがした。バカげてるかもしれないけど、私はその感覚を信じたい。清乃をからかったみんなは、居るか居ないか、それしか興味がなかった。でも、居るか居ないかなんて、それは全然大切じゃない。昨日私が感じたあの妖精さんの世界、そして雪の妖精さんが踊っている世界、それを感じたことが大切なんだと思う」
 清乃は私の話を真剣に聞いている。
「だから、信じよう。私たちが昨日感じた世界を、そして清乃が小さい頃感じた妖精さんの世界を。信じていれば、その世界はきっと本物だから」
「うん」
 清乃は満面の笑みを浮かべる。
 そのとき私たちの後ろで雪の落ちる音がした。

「わたしのきもち」

はてブ数 2001/09/02 創作::小説
シーン小説。つまり日常のワンシーンを切り取って描写していたときの、その描写ムードを押し広げて作った作品。
たしか3作目です。今読み返すと色々至らない点はありますが、当時のまま掲載しておきます。

わたしのきもち

「残念だけど面白くないよ、やっぱり」
 部室の中には二人の生徒が居た。
「そう……」彩は元気なく返した。後ろからも分かるぐらい肩を落としている。
「はい、返すね。もう一回読んでみなよ」
 由起子は二枚のコピー用紙を彩に手渡した。紙には文章が縦書きに印刷されている。彩はそれを受け取り黙って読みはじめた。
 二人は文芸部に所属している。文芸部は月に一回部誌としてコピー誌を図書館で配布していた。由起子は絵を載せ、彩は短編小説を載せていた。部員は他にも居るが、活動しているのは実質この二人だけだった。
「由起子、やっぱり文章変なのかな。私、好きな作家の本読んで研究したんだよ」
「そんなことないよ。文章は前に比べたら良くなってきたし、これは私のおかげかな」由起子はニコっと笑う。「だけどね、前にも言ったけど……」
 由起子の意見はこうだった。彩の文章は一見市販の小説のような感じがする。しかし深く読んでみるとテーマ性、つまり中身がない。文章自体は上達して、キャラの会話も愉快なんだけど、上辺だけ流れて中核になるものが感じられない。
「テーマって言われても難しいよ……」彩は呟いた。
「なんだっていいのよ。今の小説は作者から見てどんな小説なの?」
 彩は少し考え、言葉を選ぶようにして「いつもフラれちゃう可愛そうな女の子の小説……かな」と答えた。
「そうだね。私の感想を言わせてもらうと、ちゃんと可愛そうな女の子だったよ」
「ほんと!?」
「喜ぶのは早い。可愛そうだってのは伝わってきたよ。でもねそれだけなんだよ、わかる?」
「それだけって?」
「それだけ。だからどうしたの、可愛そうな女の子が居ました。けどそれがなんなのかぜんぜん分からない。可愛そうだからどうしたの?」
 彩は黙っていた。視線を下に、自分の小説に向けている。
「小説を書くことで何を伝えたいの?」

 彩は、家に帰るとカバンを机の上に置き、そこから今日見せた原稿を取り出した。原稿を持ったままベッドに大の字に転がる。

  私、何を伝えたいんだろう、わからない。小説って伝えたいことがなきゃ書いちゃ
 ダメなの? 私は小説を書きたいんだよ。でもそれだけじゃ、書きたいってだけじゃ
 ダメなの? 小説ってなんなのよ、誰か私に教えてよ……

 翌週には部誌が発行され、表紙を由起子の描いた絵が飾った。机に座りパソコン向かうショートの女の子の絵。
「由起子、この表紙可愛いね」出来たての部誌を手に取り彩が言った。
「よかった。気に入ってもらえたみたいでうれしいよ」
「絵、だったら”可愛い”ってだけでもいいんだね……」彩がうらやましそうに言う。
「そうなの、かな……」
 絵の女の子は笑顔ではなく、ちょっぴり考えごとをしていてまたそこが良かった。
「絵が綺麗な人はいくらでも居るよ。でもそういう絵の全部が親しまれるわけじゃないし、絵が綺麗じゃなくてもファンの付く絵はあるんだよ。絵にこもってるんだと思うんだ、描いた人の気持ちが」
「気持ち?」
「そう気持ち。その絵にも私の気持ちがこもってるんだ」由起子は彩を見つめている。
「それがちゃんと出る人のことを絵が上手いって言うんだよ、きっと」
 由起子はとてもやさしい目をしていた。小説も同じだよ、彩に由起子の想いが伝わってくる。
「次はさ、自分の素直な、一番素直な自分の気持ちを書いてみなよ。小説になってなくてもいいから、いま一番感じてることをそのまま書いてみるんだよ」

 それから数日、彩はいろんなことを考えた。
 何を自分が書きたいのか、自分が今思ってることはなんなのか、自分は小説を書くのに向いてないんじゃないか、すべては無駄な努力なんじゃないか、何も言いたいことがない私は小説なんか書いちゃダメなんじゃないか……、と。

  中学生の頃、一つの小説を読んだんだ。小説家になろうと頑張る男の子が夢を叶え
 るお話だったんだ。一途で、人を楽しませることに一生懸命で、それですごく感動し
 て、私も小説を書きはじめたんだ。私も小説の楽しさをもっと多くの人に知ってもら
 いたい。私は小説を書きたいんだよ。

 彩はベッドから起き上がると、パソコンに向かって新しいファイルに文章を書きはじめた。書いては手を休め、手を休めてはまた文章を書く。机の端にはこの前出来た部誌が置きっぱなしになっていた。表紙を飾る女の子。
「まるで今の私だね」
 彩はそっとつぶやく。

 翌日、部室で彩は由起子に出来た原稿を手渡した。
「えっもう書いたんだ」
「私、いっしょうけんめい書いたよ。こんなんじゃダメ、かな?」
「早速読んでみるね。えっと、タイトルは……」


  わたしのきもち
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