2016/12/01(木)映画「この世界の片隅に」はドキュメンタリーかも知れない(感想)

(途中までネタバレなし)

評判が異様に高かったので観てきました。観終えて真っ先に思ったのは「えっ、どこが面白いの?」というたくさんの疑問でした(苦笑)

このお話は、戦前そして戦中に生きた「すず」という少女の物語です。すずはちょっとぼーっとしていますが、いつも笑顔を絶やしません。そんなすずは昭和19年に見初められた見知らぬ男の人のとこへ嫁いでいきます。そして、どこで会ったかも覚えていない男の人の一家と暮らすことになりました。

こう書くと戦中の暗いお話で、昔の風習に流され嫁いでいった不幸なお話のようにも思えますが、ぜんぜんそんなことはありません。むしろ、戦中を必死に生きる人たちの中で、おとぼけすずの楽しい日常が描かれていきます。この作品はコメディでもあるんですよ。なにせ自分が嫁いできた家の名字も知らなければ住所も分からないのです。途中何度も笑いそうになりました。*1

しかし、コメディだからといってもクスってなる程度でそこまで強烈なものでもありません。基本はのんびりした主人公すずの、のんびりとした日常描写です。日常系アニメとか間延びし過ぎて苦手だし、大して笑えないコメディなんて観たくもないです。のんびり主人公の日常なんて、そんなの映画にされたら堪らないよ! と思う暇もなく、気づいたらあっという間に120分が終わっていました。

……あれ? 何が起きてるの?

映画館から出で最初に思った「どこが面白いの?」という感覚。にも関わらず、120分間片時も画面から目を離すこともなく、一瞬も他のことを考えもせず、映画に釘付けになった事実。

これはなんだ? なんなんだ? そうだドキュメンタリーだ!

この作品に分かりやすい物語性を期待すると「あれ、どこが面白いの?」という感想になってしまいますが、これをドキュメンタリーの視点から眺めるとガラりと評価が変わります。

緻密なまでに調べ上げられた背景や情景。人物や生活描写。昔のことの知識がないのに、自然と伝わってきます。きっと当時の人達は本当にこうやって暮らしてたんだと。そして何より、生き生きとそこに存在するすずを初めとする登場人物たち。これは声優の演技でもあり、アニメとしての芝居の持つパワーでもあります。

アニメ映画である限りすべては嘘であり、物語以前に、山も空も町並みも人物も戦闘機もすべてが嘘なのです。そう全部嘘なのです。嘘なのに画面の隅々まで嘘が全くないのです。映画館の座席に座り、上映が始まり終わるまでの120分。すずは本当に目の前に生きていたし、本当に瀬戸内の風景がそこに映し出されていましたし、その間に戦争が始まり戦争が終わります。

この圧倒的なまでのリアリティに支えられ、すずはその場に存在しているのです。

*1 : 劇場内で他に笑っている人が居なかったので笑えなかったのですが。

以下ネタバレ含む

昭和19年にすずが嫁いでから、お話が進むにつれ戦況は厳しくなり、配給は少なくなり、食事は貧しくなり、そして空襲もやってきます。

それでもすずたちは毎日毎日を生きていきます。悲しい出来事も起こります。身近な人も亡くなります。それでも明日はやってきますし、食事も作らねばなりません。生きていかねばなりません。

でもこの映画は何も語りません。物語性が排されています。物語の起伏も作られていません。だから戦争について何の意見も述べていないのです。戦争という大きなうねりの中で生きる人を、ただただ淡々と描いているのです。そのことが逆に、戦争というものを肌で感じさせます。

ここがこの映画の実に優れているところなのです。

よくある物語を構成法では「テーマ(主張)を決めて、テーマをいかに伝えるか」と工夫してお話を考えます。ラストシーンに絡めてテーマを作り込み、カタルシスも得られるようしつつ何かを訴えかけようとします。しかし、そうすればするほど、物語は物語であって、今この現実ではない架空の世界のお話であって、私たちの日常とは遠い世界のお話になってしまいます。

それに対してこの作品は物語性を敢えて排除することで、日常の延長として受け取れる世界を提示しています。そのような演出をここまで見事に成功させた作品は初めて観ました*2。これは本当に驚くべきことです。

しかも私たちは普段、戦争と聞くと暗く悲しいイメージを持ちがちです。戦中映画にある暗く悲しいシーンはそれだけで物語や主張を持ってしまいます。でも作者はそのことをちゃんと分かっています。だから、この映画はドキュメンタリーでありコメディなのです。コメディを差し引いても、すずたちは必死に楽しく生きようとしていたし、実際に楽しそうです。その上、不幸があっても分かりやすい不幸として描いていない*3のです。

本当は実家の広島に帰るはずだったその日、運命のいたずらが起こったその日。その日の描写ですら、そこに描かれてるのは「呉に残ると決心した」「居場所を見つけた」すずの姿であって、広島で起きていることは、その状況を演出する駒として使われているのです。

今までこんな映画(演出)があったでしょうか。

*2 : そもそもそういうアプローチで作られた作品を私は知りませんが、存在はしそうです。

*3 : もちろん画面の描写をきちんと見ていれば不幸は理解できます。

それでも敢えて解釈してみる

私たちはこの世界に生きながら、世界の大きな流れやうねり、自然災害などに晒されています。生きる時代は違えど、すずと同じ仲間です。すずと同じように自分の居場所を求め、そこに安住し、毎日を暮らしています。

どんなに大変でもそれでも生きていくすずは、私たちになにを伝えてくれるのか?

「お前だけは普通で居て欲しい」と願われたすずは、ちゃんと普通で居られたのか?

この映画は何も語ってはくれません。だから受け取り方は人それぞれです。

私はすずはみんなに勇気をくれたんじゃないかと思うのです。

「大丈夫生きていけるよ」

って。


何も語ってくれない映画です。きっと何度も見れば見るたびに違う感想を持つかもしれません。

でも一つだけ確かなことがあります。

すずは、この世界の片隅に生きています。

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